
正絹 真田紐ハンドストラップ
大正時代から続いている家業を受け継ぐ関東で唯一の真田紐師、市村藤斉が織る真田紐は、
創業時から使用する手入れの行届いた木製の織機で織られています。
この織機により他にはない藤斉独特の厚みとしなやかな紐が生まれます。
「藤斉」の真田紐は茶道界や陶芸界で名のある先生方に好んで使われているだけでなく、
宮内庁に納められる茶器や陶磁器の桐箱にも使用される逸品です。
本製品は伝統工芸品である真田紐を使用したカメラストラップになります。
【 真田紐とは 】
戦国時代の武将、真田幸村と、その父・昌幸が、「強く丈夫な紐」として武具・甲冑などに用いたことから、その名がついたと言われています。
同じ紐でも一般的な組み紐は組む、真田紐は織るといいます。
真田紐は縦糸と横糸で織りあげるので伸びることがなく、結びなおしにも強い、張りのある丈夫な紐です。おそらく世界で一番狭い織物と言えます。
織物ならではの印象的な織柄が紐の表裏にあわわれるため、ほかの紐にはない、独特の美しさがあります。古くは刀の下げ緒、たすき、行商の荷紐、男性用の帯などにも使われていました。

※真田紐は織りの工程上、糸の繋ぎ部分が(右画像参照)あるのが特徴です。
![]() |
![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
〜 工房を尋ねて 〜
![]() |
![]() |
![]() |
生地を織る織機の紐版といった所でしょうか、小さな機械に糸が数十本通り、小さく・細かく動き正確に真田紐を織っていきます。 |
織機の歯車も木製で、所々欠けては直しの繰り返し修理で現在も現役です。 |
|
![]() |
![]() |
|
横糸を固定する台座もすり減り年月を感じます。 | 織の強さやたるみを調整する重りは、まるで拾ってきた石の様に見えますが 昔から使っている職人だけが分かる大事な道具です。 |
|
![]() |
![]() |
|
絹糸は京都で染め上げたもので、画像に写る鮮やかな緑の糸は宮内庁の為の専用糸とのことです。 (その箱の中に「蔵CURA」真田紐ストラップ用の糸も一緒に入っていました) |
「市村藤斉」さん(右)と一緒に写ている方は市村さんの三男で後継者です。 作業場には織機が8台設置してあり、奥には他に広幅など特殊な紐用に予備織機が一台。設置しなおして作業するそうです。 一番古いもので大正時代の物、ほかも昭和初期の木製織機です。 |
|
![]() |
||
織機は、当時、居間に置いて手動で織っていましたが 床下にある電動モーターで可動出来るように改築改造したそうです。 |
大正時代から続く市村真田紐ですが、戦前は織っている方も少なくなかったそう。
しかし、戦時中の空襲で焼失してしまったり、疎開や混乱で廃業した同業も多い中、
焼失もせず奇跡的に立直り現在に受け継がれています。
戦後、仕事が徐々に回復して量産のきく鉄製の織機を購入し生産をしましたが、以前の様な 厚みがあり、しなやかで幅の揃った綺麗な物が織れず今は作業場の後ろで誇りをかぶった ままで、現在の木製織機にこだわりながら真田紐を織り続けています。
創業時から腕の良い真田紐師として名が通っている市村真田紐、3代目の「市村藤斉」 の織る紐は、宮内庁、文化庁、お茶の家元や五島美術館、根津美術館等で用いられていて、現在、この様な木製織機で織る真田紐師は国内に一軒だけとなったそうです。
![]() |
|
汗や雨などに濡れたまま、他の繊維などの上に放置したり、摩擦すると色が移り、色落ちや色ヤケすることがありますので衣類などへの色の付着にご注意ください。 また、革が一部ついている製品についてもその革が色落ちすることがありますので十分ご注意ください。薄い色の衣服をご着用の際は特にご注意ください。